カテゴリー「!オピニオン」の115件の記事

2018年3月21日 (水)

行政は知的労働に対する正当な報酬を!

年金情報入力の委託問題に関して、SAY企画を責めることは簡単なのだけれど、もっと根が深いような気がする。「なぜこんないい加減な会社に委託したのか」と誰もが思うけれど、おそらくその理由は、賄賂や癒着ではなく、委託価格が低すぎること。つまり、予定価格が低すぎて、人手がないのにそんな価格では請け負えないとまともな会社はみんな逃げてしまったのではないかと。年金機構が同社の人員態勢に問題があると知りつつ業務委託を続けたのは、「他に業者が見つからなかった」と説明しているのが、その何よりの証拠だ。

総務省のサイバーセキュリティ課の人員募集で、「情報通信に関して高度な専門知識を有する」ことを要求しておきながら時給が牛丼屋のバイト代以下だったことが問題になったけれど、それと根っこは同じで、お役所が知的労働に対する正当な評価・報酬をしていないことが問題なのだ。本当に「高度な専門知識」を有している人間が、年収200万円以下で交通費も支給されない仕事をやるはずがないのに、平気でそんな求人を出すという感覚が狂っている。

これはあくまでも想像で、SAY企画を弁護するつまりは毛頭ないのだけれど、800人を雇うはずが百数十人しか雇わず、挙げ句の果てには中国に再委託したのは、不当に儲けようとしたというよりは、請け負った金額では日本では人員を確保できないし、そうしないと仕事も完了できず採算も合わなかったからではないかと。

マスコミも表面的な事実だけを捉えてお得意の吊るし上げと憂さ晴らしをするのではなく、是非足を使って「取材」をして、問題の本質を浮き彫りにしてほしい。委託価格はいくらだったのか、その仕事をやるためにはどれだけの人月が必要なのかというところまで掘り下げてその価格の妥当性を検証したら、例えば時給500円でしか採算が合わないとか、驚くべき結果が出るに違いない。もし日本の最低賃金ではできない金額で仕事を委託していたら、それは役所が仕事を海外に流出することを促進していることになる。

飲食業やブルーカラーは人手が集まらないと営業できないからどんどん時給は上がっているけれど、今の日本は人手不足なのに、これは行政に限らないけれど労働時間を簡単に定量化できない知的労働に対する報酬はデフレのままだという印象がある。

政府も企業に賃上げを要求するならば、行政が募集する仕事もちゃんとその仕事を遂行するためにどれだけ人月がかかるかを計算して、労働市場の状況を考慮して金額設定をすべきだ。自分たちは高い給料をもらっておきながら民間を安く使おうとするのは許しがたい。

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2018年3月19日 (月)

日本は小売業やサービス業の営業時間を短縮すべきだ

フランスで地元のパン屋が条例に反して休みなしに1週間続けて開業したとして罰金3000ユーロ(約39万円)の支払いを命じられたというニュースがあった。日本はこのことから学ぶべきことがあると思う。

昭和の時代はデパートは6時閉店で毎週決まった曜日に定休日があった。セブンイレブンだって、7時から11時までの営業が社名の由来だ(今の若い人は知らないだろう)。コンビニや量販店の台頭であらゆる業態で年中無休、長時間・24時間営業が当たり前になってしまったけれど、少し揺り戻すべき時期なのだと思う。

例えば我が家から徒歩5分以内にはファミマが3軒、セブンイレブンが4軒もある。これらが全部24時間営業する必要があるのだろうか?労働力とエネルギーの無駄遣いだといつも思っている。お店によっては深夜営業が採算に合わなくても、フランチャイズ規約で24時間営業を仕方なくやっている店も多いはず。それをやらないという選択権も与えるべきだ。

小売店や飲食店の営業時間を短くすれば、物流からメーカーまで、多くの産業への波及効果があって、エネルギー消費とCO2を削減し、労働力不足を解消し、待機児童問題も軽減し、働き方改革も実行しやすくなって多くの社会問題を一網打尽に解決できるはず。政府はなぜこれをやろうとしないのか理解に苦しむ。

年中無休・24時間営業の便利さに慣れきってしまうと定休日が増えたり営業時間が短くなることは当初不便に感じるかもしれないけれど、フランスのようにそういうもんだと割り切ってしまえば死にはしない。

今は通販やインターネットでできることもはるかに多いから、店が閉店していたら何も買えない、何もできないということはない。銀行や役所の営業時間の短さは逆に腹が立つけれど、民間もあれだけ休めれば腹も立たなくなるというものだ。

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2018年3月10日 (土)

森友問題を簡単な例え話にすると

たったの265文字で森友学園問題を例え話にしてみる:

銀行の頭取夫人がある地方の学校の名誉校長をしていた。

その学校が地方の支店に融資の申し込みをした。支店の融資課長と支店長は頭取から指示されたわけではないけれど、学校側はさかんに頭取夫人が名誉校長であることをアピールするので、支店は便宜を図った方がいいと判断し、有利な条件で融資を実行した。これがいわゆる忖度というやつだ。

ところが、その後学校のずさんな経営が原因で倒産し、融資が焦げ付いてしまった。これが不正融資ではないかと問題になると、本店は融資そのもの指示はしていなかったものの、頭取を守ろうとして様々な隠ぺい工作をしてしまった。

簡単に言うとこういうことだと思う。官邸や政府は有利な条件で土地を売却しろと指示した訳でもないし、ましてや賄賂を受け取ったわけでもないからそこに違法性はない。売却金額の妥当性には議論があるけれど、違法性があるとしたら売却のやりとりの事実に関して嘘や隠蔽工作があったことだ。

野党とマスコミは、隠蔽があったということは、売却価格に関して官邸や政府の指示があったからだろうという論理を展開しているが、そこには必ずしも因果関係はない。だから問題の本質は、地方の財務局で起きた忖度の事実を、財務省が隠そうとしたことなのだ。

そもそもこの問題が起きた原因を考えると、夫人が名誉校長を務めていたことだ。だから、もし安部総理に責任があるとすれば、あんな胡散臭い人間が経営する、教育勅語を子供に唱えさせるような時代錯誤の学校を夫人が公に支持し、広告塔になっていたことを容認していたことだ。

ファーストレディは、決して「私人」などではない。「内閣総理大臣夫人」という「肩書き」で活動していたわけだから。だから、この問題で一番責任があるのは、自分にすり寄ってくる詐欺師のような人間を見分ける目がなく、うまく祭り上げられて利用された安倍昭恵夫人だと自分は思っている。ついに自殺者まで出してしまったことに対して、彼女は責任を感じているのだろうか。

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2018年1月29日 (月)

いじめの責任は学校よりは加害者生徒と家庭にある

いじめ問題が起きると必ず学校や教師や教育委員会が批判されるのだけれど、一番責められるべきなのは、加害者である生徒とそれを育てた親ではないのか。

確かに学校内で起きたことだから学校には一定の管理責任はあるけれど、学校や教師は加害者ではない。学校は勉強を教える所であって、物事の善悪を教える第一義的な責任を負うのは親であり家庭だ。

いじめが一向になくならないのは、責任を全部学校に押し付けて、加害者に対する懲罰がなさすぎるからだと思う。自殺に追いやるほどのいじめをした生徒でも、涼しい顔をして進級・進学している。脅迫や暴力などの犯罪性のある悪質ないじめをやったら一発退学で学歴にキズが付いてその後の人生が狂ってしまうというくらいの自覚を植え付けなければいじめは減らないだろう。

「万引きは犯罪」「痴漢は犯罪」ならば
「いじめも犯罪」だと言い切る必要があるのではないだろうか。

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2018年1月21日 (日)

全く「大義」のない小室哲哉の不倫報道

芸能人や一般人の不倫と、政治家の不倫は違うと思う。政治家もちゃんと仕事をすればかまわないと言う人もいるけれど、自分はそうは思わない。

なぜならば、政治家というものは:
1)その人格と言動を信用した国民の投票によって選出される
→だからその信用に疑義があれば投票行動が変わる
2)国民の支払った税金で給料をもらっている
→だから国民は政治家のステークホルダーである
3)国や自治体や政党を代表する者であり、ロールモデルでなければならない
→だから一般人よりは高い倫理性が要求される

だから、国民は政治家の不正や非社会的行動を知る必要があり、メディアがそれを追求することには「大義」があるし、法律的にも公益があるから名誉毀損も免責される。

しかし芸能人は違う。上記3条件はあてはまらないから、小室哲哉の不倫が気に入らないならば彼の音楽を聴かなければいいだけの話しだ。今回の不倫問題は、あくまでも彼と妻の問題であり、我々に対する説明責任もないし詫びる必要もないし、ましてや責任を取って引退する必要もない。某女性議員たちの不倫疑惑とは話しが違うのだ。文春も、マスコミも、多くの国民もこの違いをわかっていないのではないかと思う。

このスクープは、興味本位に個人のプライバシーをあばいて本人と家族を傷つけ、有能な音楽家を引退に追い込んだだけで、全く大義がない。だけど文春にとっては大義などどうでもよくて、スクープを取れて雑誌が売れればそれでいい。小室氏は訴えないだろうけれど、不特定多数の人に事実を伝えることによって社会的評価を貶めたのだから、完全に名誉毀損の構成要件を満たしている。人の倫理観を問う前に、自分たちの倫理観はどうなんだと言いたい。

それにしても、今週末はテレビはどのチャンネルを回してもこの問題ばかり。海外でもパパラッチの写真を掲載する低俗タブロイド紙はあるけれど、日本のようにそれと同じ次元でメジャーなテレビ局がこんな興味本位なゴシップを大々的に延々と取り上げることはない。いかに日本のマスコミの品格がないかということだ。

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2017年11月29日 (水)

日馬富士の暴行事件は、すべての関係者に問題あり

日馬富士の引退で一つの決着が着いたので書くことにしよう。
今回の事件が極めて不愉快なのは、日馬富士、貴の岩、白鴎、貴乃花、相撲協会という関係者全員に問題があり、誰一人として評価・共感・納得・応援できる者がいないということだ。 
もちろん一番悪いのは日馬富士であることは間違いない。どんな理由があろうとも、凶器を使って怪我をさせるほどの暴行を加えていいはずがない。
また、その場にいた白鵬をはじめとした他の力士が止めなかったのは、その暴力を容認していたからに他ならない。白鵬は旭鷲山に「あれはかわいがりですよ」だと言ったらしい。ここに、今回の事件に特有ではない、「相撲界の暴力体質」が見える。  
では貴の岩が全く落ち度がない一方的な被害者かというとそうとも言えない。相撲界というタテ社会の中で、目上の者に対して無礼な言動を取るという「原因」がなければ、そもそもこの事件は起きなかった。もちろん、だからと言ってあそこまでの暴行が許されると言っているのではないが、そこまで横綱を激昂させた原因は貴の岩にあることも間違いない。
普通、一方的に不当な暴行を受けて傷害を負ったら真っ先に病院と警察に行くだろう。しかし貴の岩はそうせず、暴行されたことを親方にも隠していた。それは自分にも落ち度があると思っていた何よりの証拠ではないのか。
貴乃花の言動に関しては最も意見が分かれると思うけれど、もし彼が言うように貴の岩が一方的な被害者ならば、最初から被害者の言い分を相撲協会とマスコミに開示していれば、こんなに延々と大騒ぎにはならなかった。そもそも、このような性的暴行ではない事件で、被害者が口を閉ざしているのは不自然で、そこに何らかの不都合や意図があると思わざるを得ない。
むしろ、貴乃花はあえて何も語らないことによって憶測を呼び、騒ぎを大きくして、この事件を自分が敵対視する相撲協会とモンゴル力士界の評判を貶める材料として政治利用したように見える。それが狙いだったとすればそれは見事に成功したけれど、それは彼が信条とする「ガチンコ、正々堂々とした戦い方」とは正反対のものではないだろうか。何が何故起きて何が問題で、相撲界にどういう改革が必要なのかを理路整然と説明すれば、多くの人は納得しただろうに、自分のように逆に不信感を抱いてしまった人も多いだろう。
そして、このような暴力事件の防止にも、今回の事件の収拾にも、すべてにおいて無力だった相撲協会。「暴力撲滅」とかけ声だけかけても、文化慣習を変えるような厳しい施策を徹底しなければ効果はない。飲酒運転も、それを知っていたら同乗者も罰せられるように、暴力行為をしないというだけではなくて、周囲がそれを容認せず、年上だろうが何だろうが見たら止めさせ、傍観した者も処罰されるというくらい徹底しなけれならないだろう
つまり今回の事件には応援したい人が誰一人いなくて、明るい材料も希望も何一つない。しばらく相撲界は暗黒の時代に入るだろう。

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2017年10月26日 (木)

議席数ではなく得票数を見ないと政党支持率は見えてこない

まず報道から受ける印象とは真逆のショッキングな事実を先に言おう:

  • 今回の選挙で自民党を積極的に支持したのは、投票した人の4割、全有権者の2割に過ぎない
  • 立憲民主党よりも希望の党に投票した人の方が1.3倍も多く、希望の党は野党で最も多い2100万票を集めた

今回の衆議院選挙で、自民党は465議席の過半数となる61.1%の284議席を獲得した。選挙制度の仕組みをよく知らないと、これで自民党は有権者の過半数の支持を得たと思うかもしれないが、事実は全く違う。議席数や議席の獲得率だけを見ていると国民がどの政党を支持したかの真の姿が見えてこないため、マスコミは作らないのでこのように議席数と得票数を並べて比較した表を作ってみた。

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自民党の61.1%の議席獲得率に対して得票数は何%だったかと言うと、半分にも遠く及ばない41.0%。これに53.68%の投票率を掛けると、自民党に投票した人は、全有権者のわずか1/5程度の22.0%。つまり自民党は、単独過半数の議席を獲得したけれど、自民党を積極的に支持したのは、投票した人の4割、全有権者では2割、つまり5人に1人だけということになる。この政党が、これからの日本の政治を司っていくということを、自民党議員も国民もしっかりと覚えておいてほしい。

これを小選挙区と比例代表で細かく見ていこう。

小選挙区では、自民党はなんと3/4を超える75.45%の議席を獲得して圧勝したけれど、得票率は1/2以下の48.2%。なぜこのような大きな乖離が起きるかと言うと、小選挙区は、Winner Takes All、つまり相対的に競り勝って最も多く票を集めた候補者1名だけが当選するからなのだ。2位以下に投じられた票は「死票」となって、その得票は全く無駄になってしまうから、小選挙区では僅差で負けるのが一番痛い。つまり自民党は、永年の経験で選挙戦を知り尽くしているため、多くの選挙区で「負け戦」をせず、勝った場合は僅差でも、負けた場合は僅差で負けることが少なかったため、得票がそのまま議席につながった選挙区が圧倒的に多かったわけだ。

立憲民主党は希望の党よりも5議席多く獲得したから、立憲民主党の方が多くの有権者の支持を得たと思いがちだけれど、これも違う。どちらの党も小選挙区では18議席だから拮抗していたように見えるけれど、得票数を見ると希望の党は立憲民主党の2.4倍の票を獲得している。これが何を意味しているかと言うと、希望の党は新党だから選挙戦に長けていなかったため多くの選挙区で僅差で競り負けて、希望の党に入れられた票の多くが死票になってしまったことに対して、立憲民主党はより効率的な選挙をしたということになる。

比例代表では立憲民主党の方が希望の党を上回ったけれど、合計得票数は希望の党の方が多い。つまり、議席の数で立憲民主党は野党第一党になったけれど、得票数で言えば希望の党の方が「野党で最も票を集めた党」で、その合計2100万票という数は立憲民主党の1600万票の1.3倍も多く、自民党の4500万票の半分近いのだ。マスコミは希望の党が惨敗してもう終わりみたいな報道しかしないけれど、こういう視点では誰も報道しない。

比例代表は政党の得票に応じて議席数が決まり、死票がほとんど発生しないから、より議席数と得票率が近くなる。ここでは比例代表では自民党は議席の37.5%を獲得したが、得票率は33.7%。つまり、投票した有権者の約1/3が自民党に入れたので、これが自民党の真の支持率に近いと言えるだろう。

もちろん、選挙は勝って議席を獲得しなければ意味がない。だけれども、議席数と得票数(=支持)との間には大きな乖離があるから、議席数の大勝は必ずしも圧倒的な支持を意味しないし、逆に議席数で「大敗」とされていても、多くの有権者の票を集めていることもあるということを理解しておく必要がある。

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2017年10月18日 (水)

「希望の党」が「失望の党」になった原因

今回の選挙は、結局安倍総理がこのタイミングで解散総選挙をした狙い通りになりそうだ。民進党への支持が低迷していて、小池新党が立ち上がる前に選挙をすれば、当分自公政権は安泰だという狙いが。

「希望の党」が「失望の党」になったことは本当に残念だ。

その最大の原因は、小池さんが「政権選択選挙」という言葉を使ってしまったことだ。政権を取るつもりならば首相となる党首の自分が出馬しないのはおかしい。でも出馬したら豊洲問題やオリンピックを途中で投げ出してしまうのか、というしごく当たり前の矛盾に対して、ギリギリまで明快に答えを出さなかったことが大きな間違いだ。このオウンゴールに、マスコミが追い打ちをかけた。

結党当初の注目と期待はすごかったけれど、たったの数週間で政権交代ができるだけの公約や候補者をきちんと吟味して整えられるかというのは別問題。本来、政権交代は何年もかけて着実に経験と実績を重ねて準備してやっとできることなのに、いきなりそれをめざすというのはあまりにも無謀だった。

だから、小池さんは「政権交代への第一歩として二大政党制をめざす」と言うべきだった。まずは野党第一党になり、その次の選挙で政権交代をめざすと最初から言っておけば、首相候補を出す必要がないから自分も出馬する必要がなかった。自分は都知事として大阪・名古屋の首長と足並みを揃えて、地方自治と国政の連携を取っていくと言えば、何の矛盾もなくきれいにストーリーが成立したのに。政権交代をめざさないのであれば、もっと候補者も厳選できてポンコツ議員は排除できたはずだ。

しかし今回の選挙で一つ大きな成果があったとしたら、政権を倒すことを唯一の目的とし、一体保守なのかリベラルなのか、倒した後でどういう国づくりをめざすのかさっぱりわからない最大野党の民進党が解体したことだ。そのおかげで、自民・公明の与党と、非自民保守の希望・維新と、反自民リベラルの共産・立憲民主という三つの明確な軸ができた。これからは、国民はどの方向性を支持するかを判断しやすくなる。そのことは、日本の政治に歴史的ないい流れを作ったと思う。

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2017年10月17日 (火)

悪質な運転違反には二度と免許を与えるな

煽り運転が社会問題になっているけれど、このような危険運転や、飲酒運転、ひき逃げなどで人を死傷させた場合は、二度と免許を取得できなくすべきだと思う。現在は最短で3年、最長でも10年でも再び免許を取得して運転することができる。その間、刑務所に入っていたら出所してすぐにまたハンドルを握ることができる。

このような人の命を軽視した自己中心的な行動を取る人間は、「社会的な凶器」であって、人間社会の中で運転するという基本的な適正がないので、何年か欠格期間を設けて講習を受ければその精神構造や行動様式が変わるというものではない。

運転免許は「権利」ではなく、技能と適正のある者に与えられる「資格」だ。医師免許や弁護士免許も重大な違反を犯して剥奪されたら二度と取得できない。罪を償ったとか反省しているかしていないかという問題ではなく、社会を守るために必要な措置なのだ。

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2017年10月 2日 (月)

「立憲主義」のまやかし

枝野新党は「立憲民主党」という名称になった。今、「立憲主義」と言われているのは本当の意味での立憲主義、つまり憲法によって政治権力が制限されるということではなくて、単に憲法改正反対を別の言葉で言い換えているだけだ。

憲法9条には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記されているのだから、厳格に立憲主義を貫くのであれば、自衛隊は解体して日本は非武装にならなければならない。昔は大真面目にそう主張する学者や政党も多かったけれど、非武装中立を掲げた社会党は消滅し、最近では共産党も社民党もあからさまに自衛隊の存在は否定しなくなった。

では現在どういうロジックで自衛隊が正当化されているのかと言うと、野党やマスコミを含めて、「憲法は自衛権までも否定はしていない。自衛のための必要最小限度の武力保持は、9条の例外として許容される」という、憲法のどこにも書いていない詭弁とこじつけを信じることにして黙認しているのだ。

つまり、「自衛隊は必要だし、今さら解体することは現実的ではないから、いいことにしようよ」と現状に合わせて「都合のいいように憲法を解釈」しているのだ。自衛隊を容認している時点で、すでに立憲主義は破綻しているのだ。だから、自衛隊を容認していることと、安保法案が合憲だというロジックは、全く同じなのだ。

このように現状に合わせて都合のいい解釈をしたり、例外を許容したりするゆるさこそが、今の憲法の危うさなのだ。だから、そのような曖昧さをなくして、何が許され、何が許されないのかを定義するために憲法は改正しなければならない。つまり立憲主義と憲法改正は矛盾しないどころか、むしろ立憲主義を貫くためには憲法改正は必要なのだ

・自衛権を明確に定め、自衛隊は戦力として認めるべきではないのか
・自衛のための先制攻撃は許されるのか(今の航空自衛隊は、領空侵犯されても先に撃たれない限り攻撃もできない。隊員に死ねと言っているようなものだ。)
・日米安保条約を含めた集団的自衛権はどこまで認めるのか
・核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則のうち、「持たず、作らず」はともかく、「持ち込ませず」は堅持するのか。日本がアメリカの「核の傘」の下にあることは容認するのに、「持ち込ませず」と言うのは矛盾しているのではないのか。そもそも非核三原則は、「自分たちの手は汚さない」という卑怯な方針で、「日本の領土外から発射する分にはいい」などという偽善的な姿勢はもはや国際的にも軍事戦略的にも通用しない。米国の核を地理的に北朝鮮に近いところに配備することは必要ではないのか。

立憲主義は、憲法をそのように国民が合意したあるべき姿に改正した上で追求すべきなのであって、ただ今のままの憲法をやみくもに守る、ということではないはずだ。

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