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2018年7月 6日 (金)

死刑制度の是非に思う

麻原彰晃ら7人の死刑が執行された。

自分は死刑制度に賛成だ。

まず、法律解釈的には、死刑は更生の可能性がない複数殺人犯の再犯防止と、同様の犯罪の抑止・予防のために行われるとされていて、法律的には「応報(復讐)」ではないという前提で「合憲」とされている。しかしそれでは刑期短縮のない「絶対的終身刑」でいいのではないかということになるけれど、日本にはそれがない。「無期懲役」は模範囚であれば平均30年で仮釈放になるから「終身刑」ではない。

死刑反対者は、死刑には冤罪の可能性があるから反対だと言う。確かに、DNA検査がなく、警察の強引な自白強要や証拠の捏造が横行していた時代には冤罪はあった。しかしそれはこれから死刑をなくすという理由にはならない。冤罪は、死刑犯に限らずあらゆる犯罪において、取調べの録画や技術などで防ぐことは進めなければならない。

それよりも、外国を含めて死刑制度反対論者は、死刑は「非人道的」で、復讐の要素があるから野蛮だという。そうだろうか。そもそも「罰を与える」という行為自体が、社会として仕返しをするということではないのか。実際問題として、死刑という量刑を裁判官や裁判員が判断する際には、被害者にどれだけ苦痛を与えたとか、遺族をどれだけ苦しめたかとか犯人の死刑を望んでいるかという感情が考慮される。つまりこれは、「被害者と遺族のあだ討ちを国家が代行する」という側面もあるということに他ならない。

復讐とはある意味最も人間的な感情だ。愛する者を殺された人にとって、「復讐心は非人道的で間違っている」などと言う綺麗事は、当事者じゃないから言えることだ。犯人がのうのうと国民の税金で養われて生きているという事実が、被害者家族を一生苦しめ、精神と人生を狂わせる。それこそが守るべき「人権」ではないのか。

つまり、死刑が是か非かという議論は、突き詰めると国家による応報は是か非かという議論になると思う。そして、国民の8割が死刑制度の存続に賛成しているのは、それを「是」としているからだと思う。

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