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2018年7月16日 (月)

「体育館が避難所」という劣悪な環境を当たり前にしないこと

地震、台風、水害。日本は正に自然災害大国なのに、避難所とは名ばかりの体育館にすし詰めになった光景を見ることが当たり前になってしてしまった。日本の避難所は、ソマリアの難民キャンプより劣悪だと言う。災害の避難所には国際的な「スフィア基準」というものがあって、これはスペースはプライバシーを確保し、一人あたり最低3.5平方メートル、トイレは20人に1つは確保し、その男女比率は1:3とするとういうことなどを定めている。

今回の水害でこれだけ犠牲者が出たのも、避難指示が出ているのにも関わらず避難せずに自宅にとどまった人が多かったからで、それはきちんとした避難所がないということも原因だと思う。こんな体育館みたいな劣悪な環境にすし詰めになるくらいだったら自宅にいたい、という気持ちはわかる。

こういう大規模災害が起こったら、国民宿舎、国民休暇村、共済組合の宿、公務員の保養所などの公営の宿泊施設は客を追い出してでも片っ端から開放すべきだ。空いている公務員宿舎も利用すべきだ。それでも足りなければ、同じ体育館でももっとプライベートスペースが確保できるテントを置き、移動入浴車やトイレも増やす。

公平性やコストや主管団体が異なるなど「できない理由」がたくさんあるのはわかる。だけど、「できない理由」は「できる理由」の裏返しだ。物理的に不可能ではない限り、それを覆せばできるということだからだ。今できないのは、ルールとシステムがないからだ。問題は、それを作ろうという意志があるかどうかだ。それこそが、政治の役割だ。

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