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2018年1月の2件の記事

2018年1月29日 (月)

いじめの責任は学校よりは加害者生徒と家庭にある

いじめ問題が起きると必ず学校や教師や教育委員会が批判されるのだけれど、一番責められるべきなのは、加害者である生徒とそれを育てた親ではないのか。

確かに学校内で起きたことだから学校には一定の管理責任はあるけれど、学校や教師は加害者ではない。学校は勉強を教える所であって、物事の善悪を教える第一義的な責任を負うのは親であり家庭だ。

いじめが一向になくならないのは、責任を全部学校に押し付けて、加害者に対する懲罰がなさすぎるからだと思う。自殺に追いやるほどのいじめをした生徒でも、涼しい顔をして進級・進学している。脅迫や暴力などの犯罪性のある悪質ないじめをやったら一発退学で学歴にキズが付いてその後の人生が狂ってしまうというくらいの自覚を植え付けなければいじめは減らないだろう。

「万引きは犯罪」「痴漢は犯罪」ならば
「いじめも犯罪」だと言い切る必要があるのではないだろうか。

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2018年1月21日 (日)

全く「大義」のない小室哲哉の不倫報道

芸能人や一般人の不倫と、政治家の不倫は違うと思う。政治家もちゃんと仕事をすればかまわないと言う人もいるけれど、自分はそうは思わない。

なぜならば、政治家というものは:
1)その人格と言動を信用した国民の投票によって選出される
→だからその信用に疑義があれば投票行動が変わる
2)国民の支払った税金で給料をもらっている
→だから国民は政治家のステークホルダーである
3)国や自治体や政党を代表する者であり、ロールモデルでなければならない
→だから一般人よりは高い倫理性が要求される

だから、国民は政治家の不正や非社会的行動を知る必要があり、メディアがそれを追求することには「大義」があるし、法律的にも公益があるから名誉毀損も免責される。

しかし芸能人は違う。上記3条件はあてはまらないから、小室哲哉の不倫が気に入らないならば彼の音楽を聴かなければいいだけの話しだ。今回の不倫問題は、あくまでも彼と妻の問題であり、我々に対する説明責任もないし詫びる必要もないし、ましてや責任を取って引退する必要もない。某女性議員たちの不倫疑惑とは話しが違うのだ。文春も、マスコミも、多くの国民もこの違いをわかっていないのではないかと思う。

このスクープは、興味本位に個人のプライバシーをあばいて本人と家族を傷つけ、有能な音楽家を引退に追い込んだだけで、全く大義がない。だけど文春にとっては大義などどうでもよくて、スクープを取れて雑誌が売れればそれでいい。小室氏は訴えないだろうけれど、不特定多数の人に事実を伝えることによって社会的評価を貶めたのだから、完全に名誉毀損の構成要件を満たしている。人の倫理観を問う前に、自分たちの倫理観はどうなんだと言いたい。

それにしても、今週末はテレビはどのチャンネルを回してもこの問題ばかり。海外でもパパラッチの写真を掲載する低俗タブロイド紙はあるけれど、日本のようにそれと同じ次元でメジャーなテレビ局がこんな興味本位なゴシップを大々的に延々と取り上げることはない。いかに日本のマスコミの品格がないかということだ。

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