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2017年10月 2日 (月)

「立憲主義」のまやかし

枝野新党は「立憲民主党」という名称になった。今、「立憲主義」と言われているのは本当の意味での立憲主義、つまり憲法によって政治権力が制限されるということではなくて、単に憲法改正反対を別の言葉で言い換えているだけだ。

憲法9条には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記されているのだから、厳格に立憲主義を貫くのであれば、自衛隊は解体して日本は非武装にならなければならない。昔は大真面目にそう主張する学者や政党も多かったけれど、非武装中立を掲げた社会党は消滅し、最近では共産党も社民党もあからさまに自衛隊の存在は否定しなくなった。

では現在どういうロジックで自衛隊が正当化されているのかと言うと、野党やマスコミを含めて、「憲法は自衛権までも否定はしていない。自衛のための必要最小限度の武力保持は、9条の例外として許容される」という、憲法のどこにも書いていない詭弁とこじつけを信じることにして黙認しているのだ。

つまり、「自衛隊は必要だし、今さら解体することは現実的ではないから、いいことにしようよ」と現状に合わせて「都合のいいように憲法を解釈」しているのだ。自衛隊を容認している時点で、すでに立憲主義は破綻しているのだ。だから、自衛隊を容認していることと、安保法案が合憲だというロジックは、全く同じなのだ。

このように現状に合わせて都合のいい解釈をしたり、例外を許容したりするゆるさこそが、今の憲法の危うさなのだ。だから、そのような曖昧さをなくして、何が許され、何が許されないのかを定義するために憲法は改正しなければならない。つまり立憲主義と憲法改正は矛盾しないどころか、むしろ立憲主義を貫くためには憲法改正は必要なのだ

・自衛権を明確に定め、自衛隊は戦力として認めるべきではないのか
・自衛のための先制攻撃は許されるのか(今の航空自衛隊は、領空侵犯されても先に撃たれない限り攻撃もできない。隊員に死ねと言っているようなものだ。)
・日米安保条約を含めた集団的自衛権はどこまで認めるのか
・核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則のうち、「持たず、作らず」はともかく、「持ち込ませず」は堅持するのか。日本がアメリカの「核の傘」の下にあることは容認するのに、「持ち込ませず」と言うのは矛盾しているのではないのか。そもそも非核三原則は、「自分たちの手は汚さない」という卑怯な方針で、「日本の領土外から発射する分にはいい」などという偽善的な姿勢はもはや国際的にも軍事戦略的にも通用しない。米国の核を地理的に北朝鮮に近いところに配備することは必要ではないのか。

立憲主義は、憲法をそのように国民が合意したあるべき姿に改正した上で追求すべきなのであって、ただ今のままの憲法をやみくもに守る、ということではないはずだ。

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