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2013年8月 1日 (木)

「終戦のエンペラー」とセットで見るべき2本の映画

Emperor

昨年暮れからこの「終戦のエンペラー」が制作中のことを知っていたので、公開を楽しみにしていました。これまで、戦局に関する映画は日米双方から数多くの作品が制作されていますが、終戦処理に関するアメリカからの映画は初めてだからです。

映画が始まってすぐ、東京大空襲で焼け野原になった東京が何度も映し出されます。これを見た西洋人は、驚くと思います。西洋人の99%は、東京大空襲のことを知らないので、「東京には原爆を落とさなかったはずなのに」と思うはずです。しかし実は広島原爆の14万人、長崎原爆の7万人に匹敵する10万人の民間人の命を、アメリカは東京大空襲の無差別爆撃で奪ったという事実をこの映画ははっきりと言っており、それを世界に知ってもらうだけでも価値があると思います。

アメリカ人が大騒ぎする真珠湾攻撃の死者は2,400人、そのうち民間人はわずか68人です。9.11の同時多発テロでも死者は3,000人。アメリカは、本土を攻撃されたことがほとんどないから数千人の死者でも大騒ぎするけれど、一つの都市がほとんど丸ごと壊滅させられて、10万人もの死体がそこら中に転がっているということがどれだけ悲惨なことなのか想像もできないと思います。

Japan_rubble1

この映画は、マッカーサーから任務を受けて、10日間で戦争責任者を探し出し、その中でも特に昭和天皇の戦争に関する役割と責任を決定するという任務を受けたボナー・フェラーズ准将の苦悩を描いています。その苦悩とは、日本に対する復讐の象徴として天皇を処刑すべきだという米国のみならずロシアや英国からの圧力に対して、本当に責任を問うべきか、そうすることがその後の日本の復興と占領政策にとって正しいのか、という極めて難しい判断を限られた時間の中で下さなければならないわけです。

フェラーズは実在の親日家の軍人で、日本人女性とのラブストーリーはフィクションだけど、それ以外は概ね史実に基づいています。フェラーズが至った結論は、戦争を誰が起こしたかはわからない。しかし、戦争を強い意志で止めたのはまぎれもなく天皇である、ということ。昭和天皇が戦争を指示はしなかったものの、それを容認し、止めなかったということで戦争責任を問う見方はあっても、軍部の反対を押し切って戦争を終わらせたのは天皇であったということは多くの史実が証明しています。後に述べる宮城事件などはその最たるものです。

フェラーズの報告を受けたマッカーサーは、もし天皇が処罰・処刑されるようなことがあったら、日本人は各地でゲリラ的抵抗を起こし、あと100万人の兵力を補給しなければならないので天皇の戦争責任を問わないように連合軍を説得しました。

Macarthur_emperorしかし私がこの映画で最も注目していたのは、昭和天皇とマッカーサーの会談で、どのような会話が交わされたのか、そこをどう描くのか、ということでした。

マッカーサーの、天皇は命乞いをするかもしれないという予想を裏切り、天皇は「戦争の一切の責任は自分にあり、自分は極刑になってもかまわない。しかし日本国民の衣食住だけは確保していただきたい」とマッカーサーに懇願しました。ここまでは映画で描かれていました。

これはどれだけ信憑性があるのかわかりませんが、一説によると、この天皇の言葉を聞いたマッカーサーは、直立不動で天皇の前に立ち、 「天皇とはこのようなものでありましたか!私も、日本人に生まれたかったです。陛下、ご不自由でございましょう。私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」と言ったという。それからマッカーサーは、日本国民の数を水増しして、米国から食糧を余分に確保したという。この部分に関しては史実の確認が取れなかったのか、それともアメリカの視点から描くことが不適切と思われたのかはわかりませんが、映画では全く描かれていませんでした。

この会談の内容に関しては、日米双方において公開されている正式な記録は存在しません。唯一あるのは、マッカーサー自身の回顧録で、そこにはこう書いてあります:

(天皇の発言は)私に強烈な印象を与えた。死を意味する勇気のある責任の表明は、私を骨の髄まで感動させた。その瞬間、私の目の前にいるのは、日本で最高の紳士であるということを悟った。

しかし残念ながらこの映画では、そこまでマッカーサーが感動していた、というような印象は与えませんでした。この映画は、概ね日本人を正しく描いた公平な作品だと感じましたが、ここの部分に関しては、そこまで天皇を美化するような描き方はできず、あえて言えばこれがアメリカ映画の限界、ということかもしれません。

ところで、この映画ではさらっとしか触れられていない「宮城(きゅうじょう)事件」のことを知っている人は意外に多くないと思います。1945年8月14日の御前会議でポツダム宣言を受託して降伏することが決まり、翌日正午に天皇による終戦放送があることを知り、本土決戦なしに降伏することを承服できない陸軍の青年将校たちが煽動し、約千人の軍人が、それの録音盤を奪取して終戦を阻止すべく皇居、NHK、首相官邸を襲撃して何人もの死者を出したクーデター未遂事件です。

「終戦のエンペラー」がきっかけで、この事件のことをもっと詳しく知りたくなり、降伏を決定した御前会議から終戦放送までの24時間を描いた1967年の映画「日本のいちばん長い日」のDVDを購入しました。

Photo

この映画を一言で表すと、「軍部の狂気」。これだけ日本が打ちのめされているのに、まだ戦ってさらに尊い命を失うことを厭わない軍部。そのために日本人が日本人を殺す。この映画で一番印象に残った台詞は、終戦直前の8月12日に、「もうあと二千万、日本人の男子の半分を特攻に出す覚悟で戦えば、必ず、必ず勝てます!」と外相に言い放った海軍軍令部次長。どうしたらここまで理性を失うことができるのか、今の私たちには到底理解することができない。白黒で2時間38分の長い映画ですが、息もつかせない作品でした。

「日本のいちばん長い日」が終戦の時を描いた映画だとすると、「激動の昭和史・軍閥」(1970、カラー、134分)は、2.26事件から軍部の台頭、それによる米国からの経済封鎖から太平洋戦争へ突き進んで行く開戦の歴史を東条英機を中心に描いています。

Photo_2

さて、この映画でも、「終戦のエンペラー」でもキーポイントとなるいくつかの場面が登場します。陸海軍が合同で作った、日米開戦計画とも言える「帝国国策遂行要領」が1941年9月6日に御前会議に提出された時に、天皇陛下は初めて発言され、外交交渉による平和的解決を望むという意思を短歌を詠むことで表明しました。しかしながら軍部はこれを都合のいいように解釈し、外交交渉が成立しない場合のための開戦の準備を着々と進めます。

この映画で個人的に面白かった場面が、この開戦計画を海軍参謀総長と陸軍参謀総長が天皇に説明に行った時のやりとり:

天皇: 「万一外交交渉が破れ、日米の戦争が起きた場合、この戦争はどのくらいの期間で終結できる確信があるのか」
陸軍参謀総長: 「3ヶ月で片付けるつもりです」
天皇: 「(おまえは)支那事変を始めた時、一ヶ月で片付けると言ったが、4年たっても片付いていないではないか」
陸軍参謀総長: 「支那は何分にも奥地の広い地域でありますので・・・」
天皇: 「支那の奥地が広いと言うなら太平洋はそれよりも広いではないか。どういう確信があって3ヶ月と申せるのか」
・・・まるで会社の上司と使えない部下のやりとりである。参謀総長がこの程度だから、無謀な戦争に突入して惨敗したことも必然だったと言える。

もう一つ興味深いのは、当初は戦争をしたくて仕方がなかった東条英機が、総理になると、天皇陛下の意向を受けて何とか戦争を回避する道を必死に模索します。しかし結局陸軍を支那から撤兵させることができないため外交交渉は進まず、日本は戦争への不幸にして避けられない道を歩んで行くわけです。この時、もし東条英機が強権を発動して陸軍を支那から引き揚げていたらどうなったか、太平洋戦争は避けられたかもしれないと考えると残念でなりません。

そして一旦戦争が始まると、東条英機は首相、陸軍大臣、参謀総長の3役を兼任して独裁力を強め、戦局がどんなに悪くなってもそれから目をそむけ、勝利を信じて戦いを続け、国民の犠牲を拡大していくわけです。東京裁判が不当だったという見方も多いですが、東条が、その遺言の中で、「自分は国際的には無罪だが、国民に対しては有罪だ」というようなことを書いていますが、その通りでしょう。

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昭和天皇とマッカーサーの会談に関して唯一存在する記録・マッカーサー自身の回顧録:

Shortly after my arrival in Tokyo, I was urged by members of my staff to summon the Emperor to my headquarters as a show of power. I brushed the suggestions aside. "To do so," I explained, "would be to outrage the feelings of the Japanese people and make a martyr of the Emperor in their eyes.

No, I shall wait and in time the Emperor will voluntarily come to see me. In this case, the patience of the East rather than the haste of the West will best serve our purpose."

The Emperor did indeed shortly request an interview. In cutaway, striped trousers, and top hat, riding in his Daimler with the imperial grand chamberlain facing him on the jump seat, Hirohito arrived at the embassy. I had, from the start of the occupation, directed that there should be no derogation in his treatment. Every honor due a sovereign was to be his. I met him cordially, and recalled that I had at one time been received by his father at the close of the Russo-Japanese War. He was nervous and the stress of the past months showed plainly. I dismissed everyone but his own interpreter, and we sat down before an open fire at one end of the long reception hall.

I offered him an American cigarette, which he took with thanks. I noticed how his hands shook as I lighted it for him. I tried to make it as easy for him as I could, but I knew how deep and dreadful must be his agony of humiliation. I had an uneasy feeling he might plead his own cause against indictment as a war criminal. There had been considerable outcry from some of the Allies, notably the Russians and the British, to include him in this category. Indeed, the initial list of those proposed by them was headed by the Emperor's name. Realizing the tragic consequences that would follow such an unjust action, I had stoutly resisted such efforts. When Washington seemed to be veering toward the British point of view, I had advised that I would need at least one million reinforcements should such action be taken. I believed that if the Emperor were indicted, and perhaps hanged, as a war criminal, military government would have to be instituted throughout all Japan, and guerrilla warfare would probably break out. The Emperor's name had then been stricken from the list. But of all this he knew nothing.

But my fears were groundless. What he said was this: "I come to you, General MacArthur, to offer myself to the judgment of the powers you represent as the one to bear sole responsibility for every political and military decision made and action taken by my people in the conduct of war." A tremendous impression swept me. This courageous assumption of a responsibility implicit with death, a responsibility clearly belied by facts of which I was fully aware, moved me to the very marrow of my bones. He was an - Emperor by inherent birth, but in that instant I knew I faced the First Gentleman of Japan in his own right.

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