« 5万アクセス記念:さそりいのししキャラクター発表! | トップページ | 『不都合な真実』 »

2006年9月14日 (木)

飲酒運転問題に思う・・・日本は法治国家?

今日はちょっと堅い話しを。
最近、連日マスコミで飲酒運転の問題が取り上げられています。
飲酒運転や轢き逃げに対する罰則強化に異論を唱える人は少ないでしょう。

しかし、この議論で、ふと約25年前の大学時代の教授のある言葉を思い出しました。

「日本は、法治国家ではないから素晴らしい」

これは、オーストラリア育ちのイギリス人で日本人論の権威のグレゴリー・クラーク氏のお言葉。逆説的過ぎてすぐ意味がわからないかと思います。
その時の生徒も、自分を含めて皆ポカーンとしていましたが、その論旨は、このようなことだったと記憶しています:

日本は、伝統的には同じ価値観を共有する単一民族国家で、基本的に性善説で、法律や契約などでがんじがらめに人の行動を規定しないでも、それなりに人々の「和の精神」や「恥の文化」などの自己規律でうまくやってこられた

逆に、アメリカは価値観が多様な多民族国家で、性悪説だから何でも法律や契約で決めないと機能しない。
だから、アメリカは「法で治めなければならない」からだめで、日本は「法で治める」のでなく、「人が治める」から素晴らしい、と。

この話しは多分に歴史的な見解を含んでいるので、25年前の日本が完全にこうだったと言い切れるかは若干の疑問はあると思いますが、約25年たった今、日本人の美徳だった、「和」や「恥」などの自己規律はどこかへ行ってしまって、もはやこの議論は残念ながら全く通用しなくなったと言えるでしょう。

最近では、飲酒運転問題にしろ、いじめ問題にしろ、食品偽装にしろ、何か社会問題が起きると、すぐ「法整備を!」という発想を誰も疑問に思わない。もはや人々の自己規律に頼ることができなくなってしまった社会では、法律によるコントロールが必要なことは自分も否定はしません。
しかし、人々の反社会的行動を抑制するのが法律や罰則だけという社会は、文明のレベルとしては確実に衰退しています

「悪いことは悪いからやってはいけない」という教育や規範がまず先にあるべきであって、生命の大切さなどは忘れられて、「罰則があるからやってはいけない」という認識の方が支配的になってしまっては「犯罪を起こす心」までは減らすことはできず、どんどん新しい法規制を作り、処罰を厳しくしていく道しか残されていないことになります。

実際、「どうして人を殺してはいけないの?」と小学生に聞かれて答えに窮した教師が、「刑務所に入れられるからだよ。刑務所に入ったらお友達やお母さんと会えなくなるでしょ。」と答えたという話しを聞いたことがあります。教育の現場がこれでは絶望的です。ちょっと悪知恵のはたらく子供だったら、「だったら刑務所に入らないように人を殺せばいいんだな」と思うでしょう。

最近、ほとんど罪の意識もなく残虐な犯罪を平気で行う少年が増えているのも、結局誰からもしっかりと人間としての規範を教えられていないからではないでしょうか。飲酒運転も同じです。

「法治国家である必要のない日本」を取り戻すのは不可能でしょうが、生命の大切さを再認識し、少しでも人々のモラルや自己規律を取り戻すことは不可能ではないと思います。
それは、法律のようなトップダウンではなく、まず自分自身や家庭や学校や地域や職場などの小さい単位での草の根のボトムアップから意識改革を始めるしかないと思います。


にほんブログ村 バイクブログへ131x60Blogranking125

|

« 5万アクセス記念:さそりいのししキャラクター発表! | トップページ | 『不都合な真実』 »

◎クルマ・バイク関連記事」カテゴリの記事

!オピニオン」カテゴリの記事

コメント

全く同感です。
自分さえ良ければいい、人のことは構わないという人が増えたような気がします。
電車に乗ると特にそれを感じます。
混雑しているのに足を投げ出して座っている人、新聞を広げている人、優先席で携帯をしている人、大きな声でおしゃべりをしている人たち・・・。
こういう風潮が、轢き逃げなどの凶悪事件の遠因になっているのかもしれません。

「和」の精神とは、ただ人に合わせるということではなくて、自分も人も区別なく同じように大事、だから人に迷惑をかけないよう気を配ろう、尊重しようということではないかと思うのです。

投稿: 銀ぜは | 2006年9月14日 (木) 22:13

コメントの数は少なくても、みなさんのアクセスや投票の多さ(これまでの一日の最高記録の倍以上)で、この記事が静かに、多くの方々の共感をいただいたことを実感し、同じように感じてるいる方が多いということを大変嬉しく思います。

実は、これから一週間ほど海外出張なので、しばらくはこの記事をトップに残させていただきたいて、新しい投稿はしばらくお休みさせていただこうかと思います。

お顔は見えなくても、みなさんのご支持は感じることができます。いつも、ありがとうございます。

投稿: さそりいのしし | 2006年9月15日 (金) 23:42

残念ですが、私はこの文章を見て不安になりました。
「飲酒運転や轢き逃げに対する罰則強化に異論を唱える人はいないだろう」という出だしが既に疑問です。異論を持つ人は大勢居ると思います。

もしかすると、この文章とは全く違う意味で既に日本は「法治国家ではなくなりつつある」のではないでしょうか?
飲酒運転についての最近の報道や世論の動きは、明らかに司法とは別の規律システムを形成しつつあるように見えます。
近い将来に裁判員制度が開始すれば、司法判断は世論に近似のものとなり、司法の厳格性・公平性は誰も保証できなくなるでしょう。

人間としての規範は「犯罪をしない」などの簡単なことだけではなく、「自己の考え・主張をしっかり持つ」ことも重要です。しかし、後者は大人でもロクに身に付いてない。それが日本の現状という気がします。

投稿: | 2006年9月30日 (土) 14:07

>異論を持つ人は大勢居ると思います

色々な考えの方がいらっしゃるし、人口の分母もでかいので、絶対値としては大勢居るとは思いますが、現状認識では全体に占める割合は低いでしょうね

それはそうと、罰則強化に代わる現状打破の具体的「対案」をお聞きしたいです
嫌味ではなく純粋に興味があります

>自己の考え・主張をしっかり持つ

せめてハンドルネーム位は名乗らないと、説得力は低いように思いますが…

投稿: TDR | 2006年9月30日 (土) 23:56

初めまして。
私もバイクは好きで何か良い記事はと思い、バイクブログを覗いていたら、「さそりいのしし」さんの記事に出会いました。

「日本は、法治国家ではないから素晴らしい」
これは、オーストラリア育ちのイギリス人で日本人論の権威のグレゴリー・クラーク氏のお言葉。
人々の反社会的行動を抑制するのが法律や罰則だけという社会は、文明のレベルとしては確実に衰退している。

「悪いことは悪いからやってはいけない」という教育や規範がまず先にあるべきであって、生命の大切さなどは忘れられて、「罰則があるからやってはいけない」という認識の方が支配的になってしまっては「犯罪を起こす心」までは減らすことはできず、どんどん新しい法規制を作り、処罰を厳しくしていく道しか残されていないことになる。

等の記事を拝見し、とても共感を持ちました。私は難しいことは分かりませんが、今の日本は物欲だけが先行して、人間としての価値観が失われているように思います。
動物たちでさえ子孫を次の世代へ無事に伝えていくために必死で子育てや我が子を守ってやります。
今の日本人の中には、自分の責任を全く見失った大人達が子供を作り、まともに子育ても出来ず、不幸な子供達を作り続けています。

人造りは産声を上げたときから始まっていると思います。小さいときは甘やかしたり、愛情をそそがなかったりし、思春期を迎える頃に、いきなり厳しくしてもそれは躾にはならないでしょう。
自分たちも子供の頃を振り返って考えれば分かるはず。
立派な人として育っていける環境を取り戻さなければ日本は崩壊してしまいます。

長文ですみません。また覗かせていただきます。

投稿: アスリートじろうちゃん | 2006年10月 5日 (木) 21:38

アスリートじろうさま

コメントありがとうございます。
ブログ拝見させていただきました。
ちょうど今の私の年齢と同じ頃にマラソンを始められたのですね。バイクも真剣に乗るとそれなりに体力を使いますが、マラソンとは比べ物にならないです。ここのところ毎年ジワジワと体重が増えているので、何か始めないと、とは思っているのですが・・・。
少し勇気をもらいました。ありがとうございます。

投稿: さそりいのしし | 2006年10月 5日 (木) 22:02

さそりいのししさん、今時のバイク用品(バイクを含め)凄いのですね。
私が自前のバイクを持っていた頃は、25~30年前です。
彼方のように徹底して、はまれませんでしたが、バイクの持つ魅力は良く分かります。
一時はトライアルに懲りまして、草レースに行ったりしていました。
今、自分が乗らない分、記事を拝見して楽しませていただきます。
私は「単気筒エンジン、二足」で頑張りたいと思います。

投稿: アスリートじろうちゃん | 2006年10月 5日 (木) 22:40

そのイギリス圏に住んでいますが、ルールはみんなが無理なく守れるものという認識が最初にあります。ですから、スピード制限はほとんどが守っていますよ。ここでは市街地は50km、家がないところでは100kmです。一般道、ハイウェイ問わず。翻って日本では校則のように守れない、安全性のためでない無駄な交通規則が多いように思います。そのため、つかまっても反省はなく運が悪かったと思うのみです。また、制限速度が60kmでほとんどの車が100km近くで走っているような自動車専用道路もありますが、安全を考えるなら、これは極めて危険なことです。
それでも、日本はこの国よりも人口比で見ると、死亡者は少ないわけですから、警察がなくとも、やたらと事故が増えるとは思えませんね。(上の比較は必ずしも正しい比較ではありません。車の保有率も走行距離もこの国の方がかなり高いと思えますから)

また、ここの飲酒運転に対する指導は一滴も飲むなで無くて、飲むなら、危険でない程度にとどめておけ、というような指導です。そのためにレストランなどにはリミットの目安を貼っています。男性(体重70kg)だとビール約1リットル、ワインならグラス2杯など、女性は当然これより少ない量ですね。免取りまでありえますが、懲戒免職など社会的な罰はありません。それにここでもそうですが、日本でも(かつての)、飲酒運転の事故はいけないと思っていますが、少量の飲酒なら罪の意識は感じないのではないでしょうか。酒気帯びで懲戒免職になるほど、危険なことをしているとは思えないのです。

今の日本の飲酒運転だけに焦点を当てるのはおかしいですね。死亡事故の5%程度、300人/年程度の事故原因としかなっていません。

投稿: よそもの | 2007年10月 6日 (土) 12:19

さそりいのししさん、
お約束どおり、検索して遊びに来ました。私のブログのリンクも残しておきます。記事的に関連する部分もあると思ったので、この記事にコメントを残します。(メールが分からなかったので)

飲酒運転、周りが注意する環境も必要だと思います。友人や家族が、それを真剣に注意することとか。注意する人がいないから、法律で裁かれるところまでいってしまうのかもしれません。

私のブログは、歩きタバコやポイ捨てをする人を取り上げています。それを現実問題、放置する国や、原因を作るJTに対して、私の意見を述べています。喫煙行為自体は、個人の権利という視点から昨日伝えたように悪いとは言いませんが、喫煙の危険性、受動喫煙の害などを国民に伝えることにまだ消極的な国や、害はそれほどないというJTの姿勢に対して、反発しています。あと、日ごろのタバコに対する愚痴とか。マナーの悪い喫煙者に対して、攻撃的なことも書いてたり。そんなかんじで、じみーにやっています。

昔は、ブログ自体も攻撃されましたが、最近は減りました。道で攻撃され、ブログも攻撃され。。私は、喫煙者のブログにいって、タバコ臭いとか、喫煙室にはいってタバコ吸うなって言わないのですが。

私のブログに来るのは彼らの選択ですが、私が道で受動喫煙するのは私の選択ではなくて、これもまた喫煙者の選択なんですね。喫煙できる歩道と、禁煙の歩道があるとすれば、別ですが。。。

何か、行動する人が権利を振りかざすとき、他人に与える影響の責任も伴うことに気づいてほしいですね。吸って、自分が肺ガンになるのは、喫煙者の勝手なのですが、彼らのせいで、私の肺にタバコの煙が入るのは納得いきません。なことを言うと、排気ガスの話をする歩きタバコ肯定喫煙者も沢山います。長くなるので、言いませんが。

短めに書くつもりが、なんだか、長くなってしまいました。

投稿: タバコの匂い大嫌い | 2008年4月 5日 (土) 13:15

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/33255/11891203

この記事へのトラックバック一覧です: 飲酒運転問題に思う・・・日本は法治国家?:

« 5万アクセス記念:さそりいのししキャラクター発表! | トップページ | 『不都合な真実』 »