2017年4月27日 (木)

「~すぎる」の乱用はやめてほしい

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これは今朝のネット記事から。こういうネット用語を見出しに使うとそれがいつの間にか当たり前な日本語になってしまうのでやめてほしい。

実は、自分も以前は「可愛すぎる」とかを使っていたけれど、あまりにも普通に使われるようになってからは使わないことにした。そもそも「すぎる」とは何かが甚だしく度を越している事で、いい意味には使われないのが普通。

昔もいい意味で「美しすぎる」などと使われることはたまにあった。野口五郎「君が美しすぎて」(1973)、八神純子「思い出は美しすぎて」(1978)など。でも、これらの歌詞の場合は、美しすぎて逆に何らかの哀愁があるから、「すぎる」の意味がある。または、「美しすぎる市議」のように、「〜にしては」という何らかの相対的な比較対象がある場合も。そのような対比がなく、単に最上級を表す意味で「すぎる」を使うのが今のネット用語の特徴だ。

普通の褒め言葉を使えばいいものを、今みたいになんでもかんでもすぐ「可愛すぎる」「美しすぎる」「凄すぎる」「天使すぎる」などと最上級を乱発すると、その強調性や希少性の意味がなくなり、もはや陳腐な表現になっている。最上級はめったに使わないから意味があるのだ。

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2017年4月23日 (日)

パスタを食べる時にスプーンを使うのはマナー違反か

パスタを食べるときに、スプーンを使うべきか否かという世界的な議論に対する個人的見解。

【反対意見】
ネットでは、スプーンを使うのは実はマナー違反だと書いている人が多い。その根拠は、本場イタリアでは一般的にそうだから。イタリアでは、スプーンを使うのは子供だけで、フォーク一本で上手にパスタを食べることを教えられるということは事実のようです。そう聞いてしまうと、スプーンを使うことは恥ずかしいことだと思っても無理はない。

【賛成意見】
しかしその一方、同じイタリアでも南のシシリア地方では大人でも普通にスプーンを使うらしい。また、アメリカでも日本同様、スプーンを使う人は多い。それは、実際にスプーンを使った方が食べやすいし、ソースもはねにくいという実用的な意味があるから。

【結論】
「イタリアではマナー違反だから日本でもマナー違反」というのは短絡的。マナーや習慣というものは、国によって違うもの。日本人はイタリア人よりフォークの扱いに慣れていなくて当然。お店がパスタと一緒にスプーンを出してくれば、その時点で、それがマナー違反ではなく、使ってもいいという何よりの証拠。

だから日本では、スプーンを使ってパスタを食べたい人は胸を張って使えばいい。

もし、「俺は本場イタリアのマナーを尊重する。フォーク一本で上手に食べられるからスプーンは使わない」という人がいれば、それはそれでOKだけど、同じことを人に押しつけるべきではない。

もし「スプーンを使うのはマナー違反なんだよ」などとしたり顔でうんちくを垂れる知ったかぶりの紳士がいたら、「そこまで言うなら、服にソースを飛ばさないでフォーク一本で美しく食べるお手本を見せてくださいね♡」と満面の笑みで言ってあげましょう。

また、もしイタリアのマナーを踏襲してパスタにはスプーンを出さないお店に行った場合は、スプーンを要求したりせず、そのお店のポリシーを尊重してフォーク一本で食べましょう。何事も「郷に入っては郷に従え」です。

これですっきりした人がいれば幸いです。

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2017年3月 9日 (木)

森友問題の過熱報道にうんざり

森友学園は確かに問題だ。次から次へと疑惑が出てくる。よくこんなデタラメがまかり通るなと、騙される行政に対しても腹立たしい。野次馬根性を刺激するスキャンダルねた満載だからマスコミがこぞって扱うのは仕方がないかもしれない。

だけど、これだけは言わなければならない。これは開催すると1日3億円かかる国会で議論すべき内容ではない。国会とは、数千億円・数兆円規模の国策や予算を審議する場だ。違法性があるなら行政と検察で粛々と調査追求すればいいだけのこと。国会はいちいちマスコミで話題になっていることを下請けする機関ではないのに、今やそれに成り下がっている。

国会は裁判所で言えば最高裁にあたる。憲法判断や重大事件しか扱わない。森友問題は、地裁レベルの事件を最高裁で審議しているようなものだ。民間企業だって、取締役会で決裁するのは何億円以上と決まっている。国会で扱う議題と扱わない議題の基準を設けるべきだ。

言いたいことは、日本には今、景気対策、財政再建、消費増税、安全保障、通商政策、社会保障、福島・熊本の復興対策、原発・エネルギー政策、待機児童問題、対米・対中・対韓国・対北朝鮮政策など、数兆円規模で国民の将来に関わる、はるかに重要な問題が山積している。

森友問題にこんなに時間を割くことによって、これらの問題が置き去りにされている。野党よ、それでいいのか。マスコミの洪水のような報道によって、このローカルな一事件が、あたかも国家国民にとっての一大事かのように勘違いされている。これが著しくバランス感覚を欠いていることに誰も気付かないことが嘆かわしい。

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