2018年9月14日 (金)

全米オープンのSerena Williamsへの罰則は女性差別だったのか

テニス全米オープンで大坂なおみの歴史的優勝を汚したSerena Williamsの言動。

主審への暴言、コーチング違反、ラケットの破壊で主審が彼女に罰則を与えたことに対してテニス界では賛否両論ある。Serenaと彼女を擁護する人の議論は、これまで同じ、もしくはそれ以上のことをやってきた男性選手がいたのに、罰則を受けてこなかったから女性差別だというもの。

これは、

「自分より速く走っていたクルマがいたのに、なぜ自分だけスピード違反で捕まるのか。」

とゴネている運転者と全く同じ理屈だ。

ルールがある以上は、それ以前に同様の反則行為が見逃されていたかは関係ない。全米オープンの決勝戦ともなれば、より高いスポーツマンシップと品格を求め、通常よりは厳格に審判をしてもおかしくない。その時の主審が、これが全米オープンの決勝戦にふさわしくない、目に余る言動だと判断したら、それがルールに則っている以上は、主審の裁量で判断できる正当な行為である。それを女性差別に結びつけようとするのはお門違いというものだ。

もし、これからこのような行為に対して厳しく罰則を取る流れになったら、それは単にルールをより厳格に取り締まるという、本来あるべき姿になるだけで、差別とは関係のない話しだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年9月 5日 (水)

関西国際空港の台風被害は人災だ

関西地方に台風が上陸した朝、関西国際空港に燃料を運び終えたタンカーが風にあおられて連絡橋に衝突して、空港と陸地を結ぶ唯一の交通手段を遮断してしまった。

どうせ飛行機は飛ばないのに、なぜ台風上陸直前に給油しなければならなかったのが理解に苦しむ。しかも、いかりは下ろしていたらしいけれど、海上保安庁からは関空島から5.5キロ離れれるように指示されていたにも関わらず、船長の判断で2.2キロしか離れていなかった(当初は20メートルと誤報されていた)。その二つの判断ミスが、この一大事を招いた。

関空と陸地を結ぶ唯一の手段がこの連絡橋。ITの世界では避けなければならないとされているSPOF=Single Point of Failure(単一障害点)だ。一カ所に障害があるとシステム全体が動かなくなるものはあってはならない、という考えだ。この連絡橋以外には小規模でもトンネルなどの代替路がない。そうであれば、万が一連絡橋が使えなくなった場合の代替交通手段をすぐに動員できる用意をしておくというのがBCP=Business Continuity Plan(事業継続計画)というものだ。

しかも、空港内は停電で、エアコンも効かず、携帯電話もつながらない、ろくに食料も支給されず、寝る場所も確保できない状態で5000人以上が夜を過ごした。公表されている防災計画では1万人分の水と食料が3日分あるはずなのに、なぜ一部の人にしか支給されなかったのか。

停電になったのは、空港への電力が遮断されたからではない。配電設備が地下にあり、そこに浸水したからだ。これは、福島第一原発の事故と同じ欠陥設計が原因。実は関空は、オープンしてからなんと3.5メートルも地盤沈下している。その対策として、防波壁を2メートル追加している。1.5メートル足りない。だから波が乗り越え、滑走路は完全に浸水し、建物の地下に大量の海水が流れ込んで停電になったのだ。仮に浸水したとしても、配電設備がもっと高いところにあれば停電にはなっていなかった。これが三つ目の人災。

朝になって、空港に取り残された人たちを、高速船で神戸とピストン輸送している。だけど一回に100人くらいしか運べなくて往復1時間かかるから、今日の夜中まで一日かけるとのこと。昼頃になってようやく損傷を受けていない方の道路の安全が確認されたのでシャトルバスの運行が始まったけれど、全然数が足りなくて炎天下に10時間以上人が並んでいる。なぜ、他の場所からもっと大量に船やバスを手配して一気に運べないのか。やっていることが全て場当たりで、連絡橋が使えなくなった場合を想定した事業継続計画は全くなかったとしか思えない。

おそらく関空の完全復旧には数週間かかるだろう。その間、航空会社、旅行会社、鉄道会社、貨物会社、空港内のサービス業とそれに従事する人々の経済的損失は膨大だ。タンカーが連絡橋に衝突したのは前述の二つの判断ミスによる「人災」だから、アメリカだったらあっという間に関空に対して損害賠償請求の訴訟が起こされるだろう。

しかし考えようによっては、東京オリンピックに向けて、このような社会インフラの脆弱性を点検するいい教訓になったとも思う。災害が起きるとその復旧ばかりに気を取られるけれど、そこから学ぶということをやらなければまた同じことが起こる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月 2日 (木)

警官による容疑者射殺を棚に上げた死刑廃止論はナンセンス

オウム死刑囚13人の死刑が執行されたことで、日本が国際的に批判されているようだ。
アメリカでは、50州のうち30州で死刑が認められているが、認められている州でもその時の知事の意向で実際に行われていない州も多い。
EU加盟の条件は死刑廃止だから、ヨーロッパには原則的に死刑はない。

しかし、警官の発砲による容疑者射殺はどうだろう。
アメリカでは毎年約1000人が警官に合法的に射殺されている。
入手できる統計では、フランスは14人(2012年)、ドイツは10人(2015年)、英国では3人(2015年)が警官に射殺されている。
日本では発砲件数自体が20件前後で、そのうち射殺されるのは希だ。

警官による射殺というのは、いうまでもなく「容疑者」の段階だ。
裁判で有罪判決さえ受けていないのに、司法制度の最末端に位置する、たった一人の警察官の判断で殺されるわけだ。当然、そこには誤射も冤罪も過剰防衛もありうる。

死刑と警官による射殺を比べるのはおかしいのか?
自分はそう思わない。
どちらも国家権力が合法的に人の命を奪うことに変わりない。
むしろ、容疑者の段階で射殺することの方が、綿密な捜査と慎重な裁判の審議を経て死刑判決を受けた者を処刑するよりははるかに「野蛮」で「人権を侵害」しているのではないか。もし、警察官が犯人を憎いと思ったら、Dirty Harryのように自分が裁判官と死刑執行人に成り代わって「処刑」することだってできるのだから。

もし、死刑を廃止しろと言うのならば、警官が持つ武器は殺傷能力はないが容疑者の動きを止めることができる武器を持たせなければ理屈が合わない。
テーザーガンなど、今はそのようなテクノロジーはいくらでもあるのだから。
警官による容疑者射殺を棚に上げておいて、死刑を野蛮だの人権侵害だの言うのは無責任で偽善だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月21日 (土)

野党がまともにならなければ日本の政治は良くならない

不毛な国会の会期が終わった。
日本の政治を見ていると絶望感しか感じない。

与党も決して褒められたものではないけれど、一番悪いのは野党だと思っている。国政や法案の審議ではなく、不祥事の追及ばかりに国会審議の時間を費やした挙句、法案には審議拒否・審議妨害をし、「十分な議論がなされていない」「強行採決」だと負け犬の遠吠えをする。まるで駄々っ子だ。審議が十分になされていないとしたらそれはお前たちの責任だ

そして挙句の果てには通るはずのない内閣不信任案を提出してさらに時間と税金の無駄遣いをする。そんな悪あがきのアピールを、国民が評価すると思っているとしたら枝野も玉木も頭が悪すぎる。もう国民はこういう茶番と泥仕合に辟易としているのがわからないのか。

民主主義の原則は多数決なのに、自分たちが国民の支持を得られない不甲斐なさを棚に上げて「数の暴力」と言う。「安倍政権を倒す」ことだけを目標にしている野党は、倒した先にどういう未来を描いているのか、全く見えないから支持されないのだ。野党は所詮「解体屋」であって、解体屋に建築は任せられない。

野党は与党の出す法案に対してことごとくダメだダメだと言う。働き方改革は過労死が激増する、カシノ法案はギャンブル依存症が増えると言うけれど、それは反対するために決めつけた結論であって、「なるほどな」と思える論理的な根拠も裏付けもないし、ましてや代案など聞いたこともない。野党の方が与党よりも頭が良くて誠実だという説得力がまるでないから、国民は与党と野党のどっちを信じるかと言われたら与党を信じるしかないのだ

もし、どこかの野党が、「我が党は国会で一切不祥事の追及はしません。国政の提案と議論しかません。」と宣言する政党がいたら、自分は支持するし、あっという間に野党第一党になれるだろう。

国会がその本来の目的である、「国政」を建設的に議論する場になるためには、野党が、国民が「なるほど、ごもっとも」と納得するような、与党がぐうの音も出ないような政策の提案や議論をするしかない。そうならない限り、野党の票が増えることはない。今のような「批判はすれど提案はしない」というような野党に、誰も政権を預けようとは思わない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月16日 (月)

「体育館が避難所」という劣悪な環境を当たり前にしないこと

地震、台風、水害。日本は正に自然災害大国なのに、避難所とは名ばかりの体育館にすし詰めになった光景を見ることが当たり前になってしてしまった。日本の避難所は、ソマリアの難民キャンプより劣悪だと言う。災害の避難所には国際的な「スフィア基準」というものがあって、これはスペースはプライバシーを確保し、一人あたり最低3.5平方メートル、トイレは20人に1つは確保し、その男女比率は1:3とするとういうことなどを定めている。

今回の水害でこれだけ犠牲者が出たのも、避難指示が出ているのにも関わらず避難せずに自宅にとどまった人が多かったからで、それはきちんとした避難所がないということも原因だと思う。こんな体育館みたいな劣悪な環境にすし詰めになるくらいだったら自宅にいたい、という気持ちはわかる。

こういう大規模災害が起こったら、国民宿舎、国民休暇村、共済組合の宿、公務員の保養所などの公営の宿泊施設は客を追い出してでも片っ端から開放すべきだ。空いている公務員宿舎も利用すべきだ。それでも足りなければ、同じ体育館でももっとプライベートスペースが確保できるテントを置き、移動入浴車やトイレも増やす。

公平性やコストや主管団体が異なるなど「できない理由」がたくさんあるのはわかる。だけど、「できない理由」は「できる理由」の裏返しだ。物理的に不可能ではない限り、それを覆せばできるということだからだ。今できないのは、ルールとシステムがないからだ。問題は、それを作ろうという意志があるかどうかだ。それこそが、政治の役割だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月 6日 (金)

死刑制度の是非に思う

麻原彰晃ら7人の死刑が執行された。

自分は死刑制度に賛成だ。

まず、法律解釈的には、死刑は更生の可能性がない複数殺人犯の再犯防止と、同様の犯罪の抑止・予防のために行われるとされていて、法律的には「応報(復讐)」ではないという前提で「合憲」とされている。しかしそれでは刑期短縮のない「絶対的終身刑」でいいのではないかということになるけれど、日本にはそれがない。「無期懲役」は模範囚であれば平均30年で仮釈放になるから「終身刑」ではない。

死刑反対者は、死刑には冤罪の可能性があるから反対だと言う。確かに、DNA検査がなく、警察の強引な自白強要や証拠の捏造が横行していた時代には冤罪はあった。しかしそれはこれから死刑をなくすという理由にはならない。冤罪は、死刑犯に限らずあらゆる犯罪において、取調べの録画や技術などで防ぐことは進めなければならない。

それよりも、外国を含めて死刑制度反対論者は、死刑は「非人道的」で、復讐の要素があるから野蛮だという。そうだろうか。そもそも「罰を与える」という行為自体が、社会として仕返しをするということではないのか。実際問題として、死刑という量刑を裁判官や裁判員が判断する際には、被害者にどれだけ苦痛を与えたとか、遺族をどれだけ苦しめたかとか犯人の死刑を望んでいるかという感情が考慮される。つまりこれは、「被害者と遺族のあだ討ちを国家が代行する」という側面もあるということに他ならない。

復讐とはある意味最も人間的な感情だ。愛する者を殺された人にとって、「復讐心は非人道的で間違っている」などと言う綺麗事は、当事者じゃないから言えることだ。犯人がのうのうと国民の税金で養われて生きているという事実が、被害者家族を一生苦しめ、精神と人生を狂わせる。それこそが守るべき「人権」ではないのか。

つまり、死刑が是か非かという議論は、突き詰めると国家による応報は是か非かという議論になると思う。そして、国民の8割が死刑制度の存続に賛成しているのは、それを「是」としているからだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月26日 (火)

民放の個人的ランキングと査定

番組制作の独自性や、タレント依存性(特にジャニーズとお笑い芸人)、情報・報道番組の姿勢(司会やゲストにお笑い芸人やど素人を使わない)を基準に、独断と偏見でランク付けと査定をしてみた。

①テレビ東京
他の4局とは明らかに一線を画して「我が道を行く」独自路線。タレントに高いギャラを払うよりはアイデアと取材力で勝負する番組作り。
「WBS」、「カンブリア宮殿」などビジネスものに強い。
池上彰の「報道特番」も「選挙ライブ」も全部テレビ東京。

②テレビ朝日
朝日新聞系列と思われがちだけど、論調にその影響は感じない。情報番組や報道番組の司会やゲストにお笑い芸人やタレントを使わないなど、報道に対する姿勢は一番まとも。
朝の「羽鳥慎一モーニングショー」、昼の「ワイドスクランブル」はタレント枠ゼロなので安心して見られる。
独善的で偏った正義感を持つ古館伊知郎がいなくなって「ニュースステーション」は良くなった。

③TBS
「ドラマのTBS」。TBSが本気で作ったドラマは格が違う。過去に印象に残ったドラマはたいていTBSだったりする(「仁 JIN」「天皇の料理番」「下町ロケット」「ルーズヴェルトゲーム」「重版出来」「仰げば尊し」など)

④日本テレビ
「24時間テレビ」以外アイデンティティがない。
フジテレビに次ぐ軽薄な番組作り。
お笑い芸人の加藤浩次が司会の「スッキリ」は出演者がタレントばかりでスッキリしない。
NEWS ZEROも報道番組なのに出演者はアイドル歌手や女優ばかり。村尾も線が細い。
日テレは基本的にニュースを娯楽と考えてるように見える。

⑤フジテレビ
すべての番組においてタレント依存性が最も高く、軽薄ミーハー路線まっしぐら。ドラマは旬の美男美女を使えばいいと思っていて、脚本がダメだからコケることが多い。女子アナがチャラい。
「特ダネ」の小倉智昭は傲慢で庶民とはかけ離れすぎていてもはや老害。
「バイキング」は司会もゲストもタレントばかりでど素人の感想が飛び交う、何も得るものがない最低最悪の情報番組。これを見て坂上忍が嫌いになった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月23日 (土)

沖縄全戦没者追悼式での中3の少女の朗読に圧倒された

今日行われた沖縄全戦没者追悼式で、沖縄県平和祈念資料館主催「児童・生徒の平和メッセージ」詩の部門で971人中最優秀賞を受賞した「生きる」を朗読した中学3年生の相良倫子という女の子に魂を揺さぶられた。彼女の後にスピーチをした安倍総理がちっぽけに見えて気の毒だったほど。

「もう二度と過去を未来にしないこと」
「戦力という愚かな力を持つことで得られる平和など本当はない」
「未来は、この瞬間の延長線上にある。つまり、未来は今なんだ。」
「鎮魂歌よ届け、悲しみの過去に。命よ響け、生き行く未来に。」

その文章が、郷土への愛と未来志向の平和への決意に溢れた重厚で素晴らしかったものであったことはもちろん、約7分の朗読の間、一切原稿を見ず、会場全体をしっかりと見渡し、力強く話す姿は聴衆を圧倒し、感動に包んだ。なんという説得力だろう。

こういう語りは、100%確信を持った自分の心からの言葉でなければ絶対にできない。日本の政治家の言葉が心に響かないのは、官僚が用意した文章を読み上げているだけだからだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月19日 (火)

地震はマグニチュードに加えてTNT爆薬換算を

大きな地震が起きるたびに思うのだけれど、「マグニチュード」って、一般人にもっとわかりやすい数値にできないものなのだろうか。

例えば今回の大阪の地震はM6.1、阪神淡路大震災はM7.3。たった1.2しか違わないけれど、マグニチュードは対数計算だから1違うと32倍、2違うと1000倍違うと言われても、数学で落ちこぼれた文科系には1.2だったらどれだけ違うのかはさっぱりわからない。

ちなみに、マグニチュードをTNT爆薬(Kt=キロトン)に換算する方法が存在する。核爆弾の威力もTNT爆薬換算で表され、広島原爆は15Kt、長崎は21Kt、起爆された人類史上最大の核爆弾・ロシアのツァーリ・ボンバ(1961)は50,000Ktと言われている。これで計算すると:

今回の地震(M6.1)は21Kt(長崎原爆級)
阪神淡路大震災(M7.3)は1,341Kt(長崎原爆64個分)
東日本大震災(M9.0)はなんと476,879Kt
(史上最大の核爆弾の約10個分)

Photo

これで見ると、阪神淡路大震災の震源のエネルギーは今回の地震の64倍、東日本大震災にいたってはなんと約22,000倍なのだ。こうして見ると、今回の地震は震災級の「大地震」と比べると、はるかに規模が小さいものであったということがわかる。

だけど、今テレビに出ている科学者ではない司会者やコメンテーターのほとんどは、この定量的な規模の違いをきちんと理解していないで「大地震」という言葉を安易に使ってああでもないこうでもないと発言していると思う。

我々素人はどうしてもわかりやすい「震度」にばかりに目が行ってしまうけれど、最大震度にそれほど違いはなくても、エネルギーが大きければ揺れる時間も長いし、それだけ広範囲に大きな被害をもたらすということだ。東日本大震災があれだけ未曾有の被害をもたらしたのは、震源が今回の地震のように内陸ではなく陸地から130kmも離れた沖合であったにも関わらず、エネルギーが桁違いに大きかったからだ。

だからマグニチュードの概念は重要なのだけれど、TNT爆薬換算のように誰もが一目でどれだけのエネルギーなのか単純比較ができる数値を使えば、もっと冷静客観的にどれほどの大きさの地震が起きているかがわかると思うのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月13日 (水)

米朝会談は北朝鮮の思うつぼになった

米朝会談でどちらかが得をしたかと言えば間違いなく北朝鮮だ。元々北朝鮮は核を使うのは本気ではなく、国内の威信を保ち、他国に恐れられるのが目的のbluff(はったり)だったわけだから、譲歩しても実質的な損失はない。大した資源も技術も産業もない北朝鮮など核がなかったら誰も相手にしないから、核は大国と対等に渡り合うための道具だった。

むしろ、制裁で経済が逼迫している状態で、これまで国家プロジェクトとして掲げてきた核開発に金を使うことを威信を失わずに堂々とやめる口実を得られたと同時に、アメリカと対等に交渉して国のステータスを上げて自分の身分と国の安全を保障してくれたという成果を上げることができて一石二鳥三鳥だ。アメリカが対等に扱ってくれてその脅威がなくなって、あわよくば経済援助までしてもらえるならばもう核は要らない訳だ。これこそが、そもそも金正恩が核開発で狙っていたことなのではないのかとさえ思う。敵は一枚も二枚も上手だ。

トランプにとって唯一の成果は、「北朝鮮と友好関係を築けた」という印象を与えることくらいだ(関係が悪化した原因の半分はトランプにあることはさておき)。しかしその代償は大きい。世界で最も国民を弾圧している非人道的な独裁国家の元首を、「とても有能で、国民を愛している」などと持ち上げたのは、卑屈という他ない。これまでアメリカが一貫して追及してきた人権運動をすべて否定するような発言だ。

共同声明には、核軍縮の方法や日程や査察などの具体的な記載は一切なく、「いつかやるよ」という限りなく口約束に近い。だから、「やっぱり秘密裏に核開発を続けているのではないか」という疑心暗鬼は消えない。それがある限り、北朝鮮は常に交渉有利な状態を保てるから、すんなり全てを公開することはないだろう。

拉致問題に関しても一切記載はない。そんな程度の共同声明でも、「もし履行されなくても、責めるようなことはしたくない」などと記者会見で口走る始末。トランプは、一見馬鹿に見えるけれど、いくらなんでもそこまで馬鹿な人間が大統領になれるはずがない、実はしたたかなのではないかというかすかな希望があったけれど、やっぱりこの男は単細胞だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«北海道新幹線は壮大な税金の無駄遣いだ