2016年8月11日 (木)

オリンピックにふさわしくない競技

オリンピックにゴルフやテニスはふさわしくないと思う。ゴルファーやテニスプレーヤーにとってオリンピックは目標でもないし最高の名誉でもない。オリンピックで金メダルを取ることよりも、マスターズやウインブルドンで勝った方がよほど嬉しいはずだ。オリンピックは賞金がもらえるわけではないし、彼らの競技人生や選手生命にとってメダルなど取れなくても痛くも痒くもない。つまり「成功の尺度」が違うのだ。

今回のリオ五輪では、デング熱や治安の悪さを理由に出場を辞退するテニスやゴルフの選手が続出したけれど、それを批判するつもりは全くなく、彼らからしたら当然だと思う。大して重要でないオリンピックに出ることで、「本業」のツアーに影響が出たら元も子もないからだ。だけど、そのために世界の頂点のプレーヤーが全員集まるわけではないので、金メダルを取っても素直に世界一とは認めがたい。例えば、ボルトやフェルプスが、「ブラジルには行きたくない」という理由でオリンピックを辞退するといことはありえない。それが「本業」だからだ。

それに対して、陸上や水泳、体操、柔道、レスリングは、ほとんどの場合競技からの直接的な収入がなく、オリンピックと世界選手権以外に大きな活躍の場もない。これらの競技の選手にとって、オリンピックは疑いもなく最高峰の活躍の場であり、世界最高の選手は必ず出場するから真に世界一の戦いになる。オリンピックを目標に4年間努力してきた選手と、年間に何回も大きな大会があり、普段の競技生活の中で何億円も稼ぐ恵まれた環境にいる、オリンピックなどなくてもいい賞金プロとは同列に見ることはできない。

ゴルフとテニス以外にも野球、バスケットボール、サッカーなど、プロリーグ(とくに男子)があまりにもメジャーなスポーツも、オリンピックにふさわしくないと思う。サッカーの頂点はワールドカップでありオリンピックではない。似て非なる大会を二つもやる必要はないだろう。プロ野球選手も最優先なのはそれぞれの国のリーグ優勝であり、「本業」に影響のない範囲でしかオリンピックには出場しない。WBCですらMLBのスター選手は敬遠するようになっている状況で、オリンピックで野球をやる意味がどこにあるのか。我々がオリンピックで見たいのは、オリンピックを目標に4年間努力してきた世界最高の選手たちが、真の世界一を競う姿だ。

オリンピックの競技数が肥大化すると、そのための会場を整備する費用も肥大化する。それは開催国の国民の税金によって賄われるということも、4年後のオリンピックの開催国である我々は認識する必要がある。

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2016年6月25日 (土)

護憲派の皆さん、こんな憲法改正でも反対ですか?

憲法論争になると、「平和憲法は素晴らしいからとにかく変える必要がない」という思考停止した護憲派と、アメリカに言いなりの軍事強化をしたいタカ派に二分されている。自分は、憲法のあいまいさと拡大解釈を防ぐために、憲法は改正すべきだと思っている。ただし、集団的自衛権を含め、現在の安倍自民党が考えているものとは違う。

まともに憲法9条を読んだら、

「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」
と明記されているのだから、自衛隊自体が違憲で、日本は本来、非武装でなければならない。だから、厳格に憲法を守って立憲主義を追求するのであれば、自衛隊は解体しなければならない。昔は大真面目にそう主張する人も多かったけれど、最近では共産党でもあからさまに自衛隊の存在は否定しなくなった。

では現在どういうロジックで自衛隊が正当化されているのかと言うと、野党やマスコミを含めて、「憲法は、自衛権までは否定していない(肯定もしていないけれど)*。自衛のための必要最小限度の武力保持は、9条の例外として許容される」という詭弁とこじつけを信じることにして黙認しているというのが実態だ。

つまり、「今さら自衛隊を解体することは現実的ではないから、いいことにしようよ」と現状に合わせて「都合のいいように憲法を解釈」しているのだ。自衛隊を容認している時点で、すでに立憲主義は破綻しているのだ。このように現状に合わせて都合のいい解釈をしたり、例外を許容したりするゆるさこそが、今の憲法の危うさなのだ。その最もいい例が、護憲派はもちろん改憲派までも「戦争法案」として大反対している、通称安保法案だ。

自衛隊の個別的自衛権を認めていること自体が憲法の拡大解釈なのだけど、「集団的自衛権はいくらなんでも拡大解釈が過ぎる」と自民党が選んだ憲法学者でさえも全員が違憲だと主張したにも関わらず、 安全保障関連法は通ってしまった。

つまり、「どっちにも解釈できるよね。だから国会で多数決で決めちゃえばいいよね。俺たち過半数持ってるし。」ということで決まってしまった。このように、憲法を改正してきちんと「自衛権」の中に含まれることと含まれないことを定義しない限り、今回の安全保障関連法のように、法案レベルで何でもできてしまうのだ。

護憲派の皆さん、こんな憲法改正でも反対ですか?

・自衛(自国の領土・領海・領空の防衛)のために陸海空軍の戦力を持つことを認める
・徴兵制は認めない
・核兵器および自国領界を超えて他国を攻撃するミサイル等の戦略兵器の保有は認めない
・武力行使を目的としない平和的活動以外に、国外に派兵することは認めない(ただし自衛のための武器を所持することは認める)

「憲法が改正されたら徴兵制が復活して戦争国家になる」などと言っている人がいるが、ナンセンスだ。むしろ、憲法を改正しないでこのままの拡大解釈容認体制を放置した方がその可能性は高いと言えるだろう。徴兵制や核保有などを認めないと明記した憲法に改正すれば、その恐れは完全になくなる。「改正する」「改正しない」の単純な二元論ではなくて、どのような憲法にすべきかを、国民一人一人が真剣に考える手間を惜しんではならない。

*憲法には「自衛権」を認めた記載はないが、13条、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」の中で自衛権は正当化できるという解釈が一般的。しかしこれはなんとか自衛隊が合憲だという根拠を見つけ出すためのこじつけの憲法解釈である。

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2016年6月18日 (土)

「愛国心」を悪い言葉として扱うのはもうやめにしないか

「国旗」「国歌」「愛国心」というようなものが、戦後70年たっても、いまだに軍国主義と結び付けられるために、これらを素直に認めることができない国であることを、自分は悲しいことだと思う。

自分は小学生の時にアメリカに移住してびっくりしたのが、毎朝授業が始まる前に、全生徒が起立して、各教室に必ず置いてある大きな国旗に向かって胸に手を当てて、Pledge of Allegianceという、国家への忠誠の誓いを唱えるのだ:

”I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.”

「私はアメリカ合衆国国旗と、それが象徴する、万民のための自由と正義を備えた、神の下の分割すべからざる一国家である共和国に、忠誠を誓います」

法律的には強制ではないし、批判が全くないわけではないらしい。しかし、ほとんどの場合、どんな人種でも、政治的・宗教的信念を持っている人でも、すべての人が何の疑問もなくこれを唱えるのだ。学校だけでなく議会や多くの公的会議の場でも同様。でも教室に国旗を掲げることすらままならない日本で、こんなことをやろうとしたら日教組を始めマスコミは大反対するだろう。

「国への忠誠」とか「愛国心」とかは、「その時の政権への忠誠や支持」ではなくて、「国の根源にある理念や理想への忠誠」と、「国土と国民と文化への愛」のはずだ。しかし、「今の日本は愛せない」などと言ってその時の国の状態との区別がつかない人や、意図的にその時の政権や政策の支持と混同させて「愛国心」とはあたかも悪い言葉であるように仕向けようという誤った風潮を感じる。

ほとんどの国では、左翼だろうが右翼だろうが誰もが国旗掲揚するし国家斉唱をする。君が代の歌詞が天皇崇拝だとか、そういう問題じゃないだろうと思う。日本という「国を愛する」という心が根底になければ、右だろうが左だろうがどんな理屈や政策を訴えても価値はない。「愛国心」があたかも悪い言葉のように扱われる国に、明るい未来はない。

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